『小飼弾のアルファギークに逢ってきた』小飼 弾
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小飼弾のアルファギークに逢ってきた (WEB+DB PRESS plusシリーズ)
著者:小飼 弾 |
今から思うと、何で買ったのかよくわからない。つまんなくはないが、金出して買うほどのものでもないような気がしてしようがない。何を読みたかったのかな、俺は。。。
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小飼弾のアルファギークに逢ってきた (WEB+DB PRESS plusシリーズ)
著者:小飼 弾 |
今から思うと、何で買ったのかよくわからない。つまんなくはないが、金出して買うほどのものでもないような気がしてしようがない。何を読みたかったのかな、俺は。。。
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共同幻想論 (角川文庫ソフィア)
著者:吉本 隆明 |
やっと読み終わったんだけど、これまた断片的に読んだために内容がほとんど残っていないという。。。それは、読んだことにはならないんじゃないかと、ふと、思う。でも、まあ、そのようにしか読めないので、しようがない。
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シアター! (メディアワークス文庫)
著者:有川 浩 |
面白い。
ついつい読み干してしまった。
うまいなー。
役者目線でなくて、製作目線っていうのがいい。
芝居を舞台にしてるけど、芝居の話はあんまり本質ではない。
ちょっとしたビジネス書みたいなふうにも読める。
ライトビジネス書?
みたいな感じで。
で、読後感は、悔しいです。
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結局、女はキレイが勝ち
著者:勝間 和代 |
昨日かおとといの日経の広告欄に載っていて、お前がいうか?って思ったら、その下に
「勝間さん、キレイでない私も生きていていいですか?香山リカ」っていうコメントが載っていて、どういう意味?と思った。
これって、
「勝間さん、キレイでない私も生きていていいですか?(苦笑)香山リカ」
とか、
「勝間さん、キレイでない私も生きていていいですか?(半笑い)香山リカ」
とか、
「勝間さん、キレイでない私も生きていていいですか?(薄笑い)香山リカ」
とか、
「勝間さん、キレイでない私も生きていていいですか?(嫌味)香山リカ」
とか、
「勝間さん、キレイでない私も生きていていいですか?香山リカ(嘘ぴょーん)」
とかね。
それとも、ここはひとつ勝間のふんどしを借りて、一儲けしようという香山リカの戦略か?
いや、広告としては強烈ですが、強烈すぎて肝心の本の中身は、どうでもいい感じです。
まあ、もちろん買ってないですけど。というか、本屋を探したが見つからなかった。いや、買おうと思ったわけではないですけど。どんな内容なのか興味はあるので。
っていうかなんで”生きていていいですか”になるのかが、さっぱりわからん。
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小説論 読まれなくなった小説のために (朝日文庫 か 30-3)
著者:金井 美恵子 |
金井美恵子の小説は読んだことがない。ので、どのような小説を書く人なのかはよく知らない。
で、なんで、これを買ったのかというと、豊崎さんが誉めていたような気がするので買いました。(もしかすると別の人だったかもしれないですけど)
最初のⅠのとこら辺しか読んでないんですけど、小説が読まれなくなったっていうことから話が始まって、小説を読むということは贅沢なことであって、そのような時間の中でしか小説は読めないというように私には感じた。
つまり、小説というのは気ぜわしい日常の中の合い間のような時間では、うまく読めないということになる。ですから、現在のような、忙しい毎日を送るビジネスマンには、小説を読むなどという贅沢な余裕は存在していないわけで、そうなりますと必然的に小説は読まれなくなりますね、当然のことながら。そうして、また最初の設問である、小説が読まれなくなったっていうことへ戻るわけですけど、小説家が小説はこう読むべきだ(その中には、自由に読んでいいんだっていうことも含みますけど)っていう、こう読んでほしいという思いと、普通に生きる社会人の感覚との乖離というのは、非常に絶望的な断絶がありまして、キャズムといってもいいんですけど、このキャズムを超えないと、小説が再び読まれるようなことにはならないんだと思います。つまり、荒っぽくいえば、読者に対して迎合せよということになるんですけど、結局、小説は読まれなければ何の価値も無いんじゃないかと思うわけで、それはベータとVHSが、ベータの方が技術として優れていても、VHSに負けたということと同じような意味において、技術とか芸術的な価値と、それが人々に与える影響というようなことを考えますと、技術とか芸術的な価値よりも人々に与える影響が大きい方が価値があるんじゃないかと思います。自己表出と指示表出ということでいえば、自己表出だけでは価値が無くて、指示表出が必要なんだということだと思います。(言葉の意味が間違ってるような気もしますけど)
えーと、つまり、小説はもう少し大衆に寄り添うべきではないかということであります。たぶん。
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羽生―「最善手」を見つけ出す思考法 (知恵の森文庫)
著者:保坂 和志 |
羽生善治について語る本は、結構ある。(ようだ)
羽生の何が、人をひきつけているのか?
これまでに無かった思考過程が、同じものに対して新たな角度から光が当てられて、その乱反射に目がくらんでしまうのであろう。(というようなことか?)
しかし、保坂和志恐るべしであるな。考え抜くということの手本のような本。その姿勢は見習うべし。だと思った。
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小飼弾のアルファギークに逢ってきた (WEB+DB PRESS plusシリーズ)
著者:小飼 弾 |
かなり前に買って、後少しを残して放置していたので、残りを読んで、読み終わったんだけど、何でこれ買ったのか、今となっては???であるなー。
多分、前向きな気分のときに買って読めばいい燃料になると思いますが、凹んだ気分のときに読むとますます凹むっていう気がしないでもない。元気なときに読むべし。
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【新版】ビッグツリー~自閉症の子、うつ病の妻を守り抜いて~
著者:佐々木 常夫 |
否定的な見解を書きます。でも、作者に対して否定的であるわけではありません。むしろ、作者の不屈の魂のようなものは、尊敬に値します。でもね。。。一言述べたい。
まず、ギリギリのところで生還した家族の皆様に対しては、素直によかったねといいたい。
読むとわかりますけど、奇跡的に一命をとりとめているわけで、ひょっとしたら不幸なことになっていた可能性は凄く高いわけですよ。
で、amazonのレビューでも釈然としないまま読み進め。。。って感想がありましたが、私も途中から、何かひっかかるような感じがして読みました。
まず、この本は、うつ病であるとか自閉症とかを抱えている当事者には、あんまり勇気と希望を与えないのではないかということ。不屈の闘志で家族を支える作者の姿を、自分に重ねてみると、ここまでできないって思う人が多いのではないか。あるいは、作者のように頑張ろうとしたあげく疲れ果ててしまう人もいるんじゃないか。これは、一人のスーパーマンの物語であって、決して普通の人が真似できるようなことじゃないんじゃないか。あるいは、普通の人に、そこまでギリギリのところまでやることを強いることができるんだろうか?
この物語が届けるメッセージは、表向きは「あきらめずに頑張れば、ギリギリのところまで行っても、また、いつかおだやかな日々がくるよ」っていうものであるけれど、よく吟味すると「仕事を自分でコントロールできるような優秀さ、金銭的な余裕、何事にも打ち勝つ強い心がないとダメです」っていうことも通奏低音として、しきりに聞こえてくる。
あまり優秀でなく、人に雇われて仕事している人(ほとんどの人はそうだ)が、家庭の都合で早退したり休んだりは、ほとんどできないだろう。また、大企業のようなチームでサポートし合えるような環境にない人(ほとんどの人がそうだ)も、難しいだろう。優秀であれば、少し早退しても回りからとやかく言われることはないかもしれないけれど、普通の人がしょっちゅう早退していたら、何だあいつは?ってことになる。それは、あなたの努力が足りない?そうかもしれない。もっと努力しなければらならないのかもしれない。でも、本当にそういうことでいいのだろうか?
当事者じゃない人にとっては、感動話でも、当事者にとっては、もっとシニカルな視線になるんじゃないか。
所詮、当事者じゃなければ、この大変さっていうのはわかんないだろうし、実際、作者も自分が当事者になったから分かったわけで、こういう問題は当事者以外には、ピンとこない話なんじゃないかと思う。それは、多分、これから先もあんまり変わらないんじゃないかと思う。
当事者以外に共感できない問題を、うまく一般化して問題解決する方法っていうのは無くて、問題を共感できるレベルに変換して、少しでも共感してもらわないと、社会的な方向づけとして問題を共有できないんじゃないだろうか。
もう少し弱者に対しての施策が必要なんだと思う。
まとめると、強者の論理で語るな。ってこと。
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羽生―「最善手」を見つけ出す思考法 (知恵の森文庫)
著者:保坂 和志 |
保坂和志の小説は合わないけど、それ以外の例えばこういう本は凄く面白い。といってもまだ、読み出したところだけど。なんで何だろうかな、と思って、これは精度の問題ではないかというふうに思ったんですけど。
保坂和志が突き詰めて考える人であることは間違いない。で、突き詰めるときの方法が、細分化していくという、物事を割っていくような方法であるのだと思う。そうすると、どんどんミクロな世界に分け入ってしまうわけで、小説もそういうミクロというか、なだらかな起伏のようなものや、さざなみのようなものを捉えて書かれているんだろうと思う。で、そういう、さざなみみたいなものっていうのは、ふだんから耳をすましたり、息をひそめて何かを見つめているような人でないと、共感できない。多分、普通の仕事に追われるビジネスマンの精度から考えると、誤差でしかない。誤差の範囲なんで、なんだこれ?っていう何もないような感じに陥ってしまう。何がひっかかるの?っていう。まあ、普通のビジネスマンは、かなり大きな起伏でないと、ひっかからない。テレビとかも、どうひっかけるかっていうフックみたいなものが、だんだん大きくなってきて、昔は小さなゼムクリップみたいなフックだったのが、今は鯨を捕る銛みたくなってるんじゃなかろうか。
で、精度の問題っていうのは、こないだ読んだ吉本隆明の対談の中でも、精度えおよくすればいいってもんじゃないっていうようなことが書かれていて、大森壮蔵は略画と密画って表現でなんか書いていた(少しだけしか読んでないので、違ったかもしれないけど)し、解像度っていうのも同じことだし、マクロ経済学とミクロ経済学っていうのも、スケールの違いということも含めて考えると、これも精度の問題であるといえる。
で、小説はどのような精度で書かれるべきかっていうか、小説の表現の精度みたいなものっていうのは、あんまりこれまで問題にされていないような気がするけど、どれくらいの精度かっていうのは、一つの基準みたいなものになるんじゃないかと思う。っていうか、その基準っていうのは、何だ?って話になりますけど、何の基準でしょうかね。物理学が対象のスケールによって、「マクロ」「アトミック」「サブアトミック」というような階層になっていて、これは階層モデルっていう言い方もできるのかもしれないけど。小説にも、同じようにどのような階層または精度で書かれているかっていう分類っていうか、そういう読み方もできるんじゃないかなと思ったんですけど、じゃあその精度っていうのは何の精度なんだっていうと、何の精度なのかはわからないです。あまり定量的なものじゃなくて定性的なものかもしれなですけど。
そう、それで「くりこみ」も同じだよな、精度、階層の問題だよなと思ったわけ。精度と階層が一緒みたいに書いたけど、少し違うかな。精度が必ずしも階層にならずに、フラットなグループ分けになるかもしれないけど、でもフラットってことは精度が一緒ってことだから、やっぱり精度が異なると階層が異なると考えてもいいように思う。
えーと、まとまりがないですが、精度あるいは階層を軸にしての文学批評のようなものが可能ではないかという話でした。いや、そんな話だったっけ?
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| 破られた対称性 (PHPサイエンス・ワールド新書)
著者:佐藤 文隆 |
「対称性の自発的破れ」の「対称性が破れる」とは「秩序化する」ことであり、「自発的」とは「たまたま」であると。つまり「たまたま、そろったよ!」っていうこと。すごくおおざっぱに言うと。多分。
いろいろイメージが沸いてきて、とてもわかりやすかった。
とはいえ、章によって分かりやすかったり、紙数の制限かおいてきぼりになったり、群雄伝になったり、最後の章は自分の本の宣伝になったり。。。トータルで見ると、なんだか寄せ集めの印象が。でも、なかなか面白かった箇所も多かったので、理解できなかったところのほうが多いけど、他の著作も読んでみようという気になった。
「くりこみ」が、やっぱりよくわからないな。次数を上げるとか、小数点以下切捨てみたいなイメージと同じなのかな。。。
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