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2009年7月30日 (木)

『しがみつかない生き方』香山 リカ

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書 か 1-3) Book しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書 か 1-3)

著者:香山 リカ
販売元:幻冬舎
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本屋で見かけて、帯に「勝間和代を目指さない!」ってあったので、パラパラ見たんだけど、まあ、そんなに頑張ってどうするの?そんなに頑張れませんよっていう内容みたい。違ったらすみません。ここ何年かのビジネス書の主流みたいな、夢は必ず実現するみたいな、ちょっとパワハラみたいな、ワタミみたいな、ああいうポジティブすぎるんじゃねっていうのに対するアンチ。まあ、ポジティブに行こうぜ!がピークアウトしてしまったので、そろそろ、もうそういうのはやめにしませんか?本もだんだん売れなくなってきましたし、今度は一つ、そんなに頑張らなくてもいいじゃありませんか、のんびりいきましょうよ。。。っていう方向に大きく舵が切られ始めましたね。

『まねる力』の中で、勝間和代と福岡伸一の対談があって、その中で効率化について福岡伸一が、効率化して余暇を増やしましょうっていうけど、人の2倍かかってもゆっくりやるほうがいいって選択もありなんじゃね?みたいなことを言っていて、日垣隆も効率化して早く仕事が終わると新たな仕事が割り振られるんで、意味ないんじゃね?みたいなことを言っていて、勝間和代自身も効率化して余暇が増えてるかというと、新たな仕事がどんどん増えていって、余暇ないんじゃね?実践できてないんじゃね?っていう話になって、効率化って余暇を増やしたりするためには向かないんじゃね?っていうことで、効率化って結局、より少ない時間とリソースにより多くの仕事を詰め込むための手法でしかなく、余暇どころかますます忙しくなるということですなー。

で、香山リカって何でこんなに本をいっぱい出してるのか謎だ。でも、ものすごくキャッチーなテーマで読みやすく書かれているので、つい手にとってしまう。あんまり買わないけど。

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2009年7月29日 (水)

『勝間和代現象を読み解く』日垣 隆

勝間和代現象を読み解く Book 勝間和代現象を読み解く

著者:日垣 隆
販売元:大和書房
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なんかついつい買ってしまったけど、そんなに買うほどのことは書かれていなかった。
まあ、概ね思ってたことが書かれていて、バランス良いなとは思ったし、いいタイミングで出したなっていう、絶妙なタイミングの便乗商法ではないかと。多分、勝間本はピークアウトしたんではないかな。そろそろ。この不況期にあって、あのポジティブさは逆にげんなりしそうな気がする。上り調子のときにはいいと思うけどね。逆境期には向かないんじゃないかと思う。まあ、それにしてもすごいのは、この表紙デザインだね。「勝」って!で、同時発売が「北」って!どういう取り合わせだ。この内容で800円は高いな。

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2009年7月28日 (火)

マンガはサブカルチャーなのか?

マンガってサブカルチャーって呼ばれているけど、少なくとも日本においては、もうすでにメインカルチャー化してるんではないだろうか。小説よりもマンガのほうが主流でしょ。
ま、それだけで、もうサブカルチャーってくくりからはずしてもいいんじゃないかと思う。

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子どもを産むことはリスクを取ることなのか?

普通、生物はより多くの子孫を残すために、種の生存競争に生き残るために、たくさん子どもを産む。と説明される。では、人間はどうか?先進国で出生率が下がって、子どもを産まなくなる現象は、生物の種の存続の振る舞いと全く逆である。
人間が子どもを産まないのは、子どもを育てられないから、子どもを産むことがリスクになるから産まないってことだ。イワシにしてみたら、はあ?なんすかそれ?いっぱい産まないと、生き残れないんだから、いっぱい産みなさいよ。って話だ。育てられない?だからいっぱい産むんでしょ?いっぱい産めば、そのうちの何匹かは立派なイワシになるってもんよ。
つまり、イワシはリスク回避のために子どもをいっぱい産むのに、人間はリスク回避のために子どもを産まないのだ。
えーと、で、子沢山っていうのは、このリスク回避って考えが無いから、あんまり良く考えずに子どもがいっぱい産めるんだと思う。将来のことを考えて、収入がどれくらいで、老後どれくらいで必要で、高齢化が進むからなんてことをひとつひとつ冷静に詳細に検討しだすと、子どもなんか産めない。だからね、少子化対策で一番有効なのは、国民の学力を劣化させて、なるべく将来のこととか考えないようにすれば良い。今が楽しけりゃいいじゃん。みたいな。つまり学校教育をぼろぼろにして、学力を低下させればよいってことだ。いや、まてよ、学力低下はずっと前から言われているけど、少子化は進行しているな。学力低下だけではだめか。
話がずれたけど、人間と生物では、子孫を残すということについては、リスク回避のためにまったく逆の行動を取るということが、なんだか不思議だ。

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2009年7月27日 (月)

『深淵(上)』大西 巨人

深淵(上) (光文社文庫) Book 深淵(上) (光文社文庫)

著者:大西 巨人
販売元:光文社
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ちょっとずつ読みながら、やっと上巻を読み終えた。

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『1Q84』をいかに読まないか

『1Q84』が話題ですが、まだ読んでません。読む気はあるんだけど、まだまだ読まない。最初からすぐ読む気はなかったんだけど、ますます、すぐ読むには惜しい気がしてきた。
で、関連本とかは読んでるし、新装版の『1984』も買った。というように回りから攻めて行こうかと。本丸を攻めるのは、まだまだ先。

いかに『1Q84』を読まずに楽しめるか。

そのうち、私の中に私の『1Q84』が生成される。きっと、こんなのだろうっていう。ひょっとしたら、別の1Q84が作れるかもしれない。頑張ればね。
で、いつか1Q84を読んで、こんなだったのかと思う。

こういう読み方ができる本は、ほとんどない。

1人の作者の1つの作品をめぐって、いろんな人がいろんなことを言ってる。これは、とても稀有な状況であり、こんな状況でその他大勢と同じように、”原作”を読んではいけない。

遠くから遠くから本丸に近づいていこうではありませんか。

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2009年7月21日 (火)

『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』大塚 英志(続き2)

で、何とか読み終わったんだけど。これ読んで思ったことは、思ったより宮崎アニメ見てないな、俺。ってこと。千と千尋は見た。ナウシカも見た。ハウルもだいたい見た。ような気がする。後は、なんかほとんど見てない。だから、いろいろ書いてあることが、全然頭に入らなかった。残念。
なんだろうか、腑に落ちない感じがする。もやもやが残っている。でも、この本のどこが腑に落ちないのかよくわからない。うまく説明できないけど、何かものすごく反発しながら読んだ。まあ、村上春樹贔屓だってことを勘案しても、この腑に落ちなさは、本当に腑に落ちてないんだろうなと思う。
「構造しかない」から世界に伝わるっていうのも、よく分からない。ここでは、小説とアニメしか例にあげられていないけど、例えば音楽なんかは構造としては欧米のものと変わらない構造を持っているものもあると思うんだけど、音楽はあんまり世界に伝わっているように思えない。で、ケータイ小説が構造しかないんなら、ケータイ小説は世界で村上春樹より読まれるんじゃないかと思うけど、そういうことにはなっていない。
村上春樹の重要さは、構造でも文体でもなくて、そのアレゴリーにあると思うんだけど。確かに文体は特徴的で真似しやすいんだけど。でも、それは多分、そんなに重要じゃないんだと思う。この文体そのものも構造の一部であり、より伝わりやすくするための統一されたインターフェイスの一部でしかない。構造がフレームワークであれば、文体はユーザーインターフェイスであり、それらは、アプリケーションの本質ではないし、アプリケーションが提供しようとしている本来の機能や意味ではないと思う。
なんだか、作者の意見にはまったく賛成できないけど、いろいろ考えるきっかけとなったので、これはこれで有用であった。
吉本隆明との対談が出ているみたいなので、次はこれを読んでみようと思う。

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2009年7月20日 (月)

『花模様が怖い』片岡 義男

花模様が怖い―謎と銃弾の短篇 (ハヤカワ文庫JA―片岡義男コレクション) Book 花模様が怖い―謎と銃弾の短篇 (ハヤカワ文庫JA―片岡義男コレクション)

著者:片岡 義男
販売元:早川書房
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面白いです。ハードボイルドって、こういうんだろうっていう感じがする。内面の描写がほとんどないんで、よく分からないところも多いし、台詞が独特だったりすることもあるけど。何よりも古びてない感じがいい。読み出すと、なかなかとめられなくなる。

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『世界は村上春樹をどう読むか』

世界は村上春樹をどう読むか (文春文庫) Book 世界は村上春樹をどう読むか (文春文庫)

著者:国際交流基金
販売元:文藝春秋
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リチャード・パワーズの基調講演をもう一回読んでみようかなって思ったけど、取りあえずなんかメモしておこう。
村上春樹の翻訳者が集まったシンポジウムなんだけど。翻訳上の苦労話みたいなのが結構出てくるんだけど、それはやっぱり細部の話であって、構造的な話は出てこない。物語構造は翻訳可能であるようで、そこについての疑義は無い。だから、大塚英志がいうように構造は伝わるんだろう。でも、それは村上春樹だろうが、谷崎だろうが、三島だろうが変わらないんじゃないだろうか。物語構造が翻訳不可能であるというようなことは、あるんだろうか?例えば、日本のみで通用する構造っていうのはあるかもしれない。でも、それが翻訳不可能であるとは思えない。翻訳不可能な構造っていうのは、今のところ、そのような構造について記述する単語も文法も存在しないということであって、それはまったく未知なものが未知なありようで未知なことを行うというような物語構造となっているはずである。
二進数と十進数の違いとかではなく、全く別の公理系に属するものであると思える。
で、まあ、横道にそれたけど、なぜ村上春樹が世界に受け入れられたかは、さっぱりわかりませんってことだ。たぶん。

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2009年7月16日 (木)

『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』大塚 英志(続き)

で、170ページくらいまで読んだ。
えーと、やっぱり物語構造しかないんだ、キャンベル、プロップが元ネタなんだってことが、ぐたぐたと述べられている。
村上春樹の小説が、このパターン化された構造を持っているということは、分かった。でも、それは、フレームワークとして利用しているのではないだろうか。例えば、円城塔なんかは、フレームワークばっかり作っていて、物語はあんまり重要でないような小説を書いている。ように思える。で、村上春樹はフレームワークはありものを使って(車輪は発明しない)、その上にアプリケーションを構築するプログラマーであって、アーキテクチャではないのではないか。円城塔は、MFCとかATLとか.net Frameworkを作っているのに対して、村上春樹は、WordとかExcelとかを作っているだろう。Windows上で独自のインターフェースを作成しても世界は受け入れにくいけど、MFCを使って作成すれば世界はすぐに受け入れてくれるだろう。
で、村上春樹で重要なのはフレームワークではなくて、その上に構築されたアプリケーションのほうであって、MFC使ってるじゃん!だからだめだ!みたいなことにはならないんじゃないでしょうか。
なんか、わかりにくいたとえになっちゃった。
宮崎駿も細部にこだわる性質だから、細部には異様なものを配置して、その代わり物語構造は単純なものにするっていうことなんじゃなかろうか。複雑な物語構造に複雑なディテールって、すごく受けてとして疲れると思うんだよね。『CASSHERN』のように。あれもディテールが細密なんだからストーリーはもっと分かりやすくすればよかったんじゃないだろうか。ストーリーもよくわかんなかったしな。って途中で寝ちゃったからかもしれんけど。
えーと、要は、まだ読んでる途中ってことです。

あーそういえば、ケイタイ小説のように読みやすい、っていう発言がどっかに書かれていたんだけど(ページが見つからない)、ケイタイ小説って読みやすいかね?ものすごく読みにくかったけど。年のせいか。

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2009年7月14日 (火)

過去を担保に怒りをぶつけてくるのは、もう止めませんか?

やめてくれ。
過去を担保にとって、怒り続けるってのは、ずるいんじゃないでしょうか?
その過去は、もう過ぎ去ってしまったので、もう私のものじゃないんですけど。
確かに、それは、私の過去だったけど、もうそれは私のものではないからね。
それは、もう君の所有物になってしまったんだけど。
それを担保に、君の持っている私の過去でもって、私に怒りをぶつけ続けるのは、
もう止めにしませんか?
だって、それは私のものではなく、君のものなんですから。

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あっちとこっちをつなぐ電話交換手

あっちとこっちをつなぐ電話交換手であると。誰が?村上春樹が。
交換に電話がかかってきて、こういうことなんですけどとか何とか言うと、ふむふむとうなずき、こっちへお進みください、と、あっち側へつないでくれる。そんな交換手。
ねこを探したいんですって言ってるのに、近所の不登校の女の子につないじゃったりとかね。で、猫は探してもらえるんでしょうか?猫?何のこと?っていうような、そういう直接つなぐんじゃなくて、迂遠に迂遠につないでいく。
これって、インターネットと同じ感じがするな。直接つなぐんじゃなくて、近いところ、繋がったところに、パケットを渡して、後はよろしく!ってバケツリレー。ときどき届かないけど。届きませんでしたって、忘れた頃に返事がかえってくる。やれやれ。

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『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』大塚 英志

物語論で読む村上春樹と宮崎駿  ――構造しかない日本 (角川oneテーマ21 A 102) Book 物語論で読む村上春樹と宮崎駿  ――構造しかない日本 (角川oneテーマ21 A 102)

著者:大塚 英志
販売元:角川書店(角川グループパブリッシング)
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読み終わってないんで、こんなこと書くのもなんなんですが。取りあえず最初の60ページくらいまでは読んで、後は、パラパラとめくった程度なんで、この後、どのようなことが書かれているのか分かりませんけど。
えーと、ときどき文学者とか文芸評論家といったような人たちの言ってることが、わからなくなることがあって、一体ぜんたい何がいいたいんだろう?って思うことがあって、この人たちはえんえんとポストモダンとか近代とかマルクスとか考えすぎて、何か別世界に渡ってしまったんではないだろうかと思うことがある。
で、えーと、この本もそんな感じがひしひしと伝わってきたんですけど。まず、大塚英志の本は初めて読むんで、この人がどういうものを過去に書いてきたのかはほとんど知らない。Wikipediaは見たけどね。
で、この本で言いたいことは、村上春樹は物語構造しかないじゃん!ぺっ!っていうことらしいんだけど、で、執拗に物語構造しかないからだめなんだ(とは言ってないけど、あきらかにそんな口調)、俺は認めねーよ。っていうことのようなんだけどさ。
構造しかないじゃん!って言ってるんだけど、じゃあ、それ以外に何があるんだ、何が欠けているんだってことは全く触れられていない。(これから先に出てきるのかもしれないけど)
構造しかないじゃん!構造しかないじゃん!っていうのはわかったけど、だから何なんだよ?って感じがする。
良いとも悪いとも認めるとも認めないとも書いてないけど、認めないのか認めたくないのかよくわかんないけど、嫌なんだろうなってのは、とても伝わってくる。なんで、読んでて少ししらけてくる。結局、嫌なんでしょ?だから難癖つけてるんでしょ?って感じが横溢していて、大変結構なお手前で。
と、まあ、最初の60ページまでの感想です。最後まで読んで、これまでに書いた通りでなければ、誤ります。ごめんなさい。
なんかね、いいじゃん、構造しかなくても。だめなの?

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2009年7月12日 (日)

あっちとこっち

内側と外側についてメモしたついでに、”あっち”と”こっち”についてもメモしておく。
内側と外側って言った場合、内側は外側に包含される関係であると考えられる。外側は常に内側を内包している。それに対して、”あっち”と”こっち”は、何かの境界によって隔てられているだけで、包含関係は無い。
で、村上春樹の言っている壁のあちら側っていうのは、どちらかっていうと”あっち”と”こっち”の関係のことであった。もちろん、境界が開いていない場合、境界が閉じている場合は包含の関係になるわけですけど。
で、内田樹が、センチネルであるというようなことを言っていて、昨日の日経の朝刊にも確かコメントが載っていたと思うけど、それには歩哨という言葉が使われていたけど。歩哨っていうのは、内側と外側で言えば壁であるし、あっちとこっちで言えば境界であるし、彼岸と此岸で言えば三途の川であるし、甲子園で言えば白河の関である。最後のはちょっと違うか。
で、センチネルの役割は見張りであり、それは外側から内側への侵入を阻止するか、内側から外側への逃亡を阻止するかである。基本的に。国境警備隊とかね。よく知らんけど、多分。
で、その場合にセンチネルが何を見ているか、何に興味を示しているかというと、状況によって違うけど、内側にいるセンチネルは外側を見ているし、外側にいるセンチネルは内側を見ている。そして、内側のセンチネルは越境して外側に行くことはないし、外側のセンチネルが越境して内側に入ってくることもない。越境するということはセンチネルの役割を逸脱しているから。
そう考えると、村上春樹=センチネルというのは成立しない。センチネルというより、越境するものであるから、うまい例えがないけど、平たくいえば、”でかせぎ”である。”こっち”から”あっち”へ越境していって、稼いで帰ってくる。”あっち”で稼いだもので、”こっち”で生計を立てるとうことを考えれば、多くの文学者は常に”でかせぎ”労働者である。
ということになりました!まあ、これはなんとなく正しいような気がする。
あれ?あっちとこっちの話がどっかに行ってしまった。

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2009年7月11日 (土)

内側と外側

内側と外側について。

村上春樹がインタビューに答えて(クーリエジャポンだったと思う)、壁の向こう側に行って帰ってくる能力が小説家には必要だというようなことを書いていた。うろおぼえだけど。
ここでいう壁っていうのは、内側と外側を分ける壁であって、いたるところにある。

2009年の岸田戯曲賞の選評を読んでいたら、
永井愛が、
”大量殺戮だの、大量首切りだのの報道に日々接していると、最終候補作のほとんどが引きこもってゲームに興じているような、外界と切り結ぶ意思のないものに思えた。”
”女性登場人物を男性との性的側面においてのみ描いた作品が目立ったのも今回の特色”ということを言っていた。

野田秀樹も、
”そこで書かれているものは、その作品に登場する人間たちの間だけの人間関係である。
外側と言うものがない。世界というのは、内と外でできているものだろうに、書かれているのは、内側のことばかりである。外側が想像されることもない。崩壊しようとしている外側でもいい。幻想の外側でもいい。とにかく何も書かれていない。たまに書かれていてもありきたりで、関心がもたれていない。これは、人間関係という芝居の根幹のようなものを書いていながら、実は、その関係を作っている共同体と言うものに無関心であるからだ。無関心でない場合は、その共同体の造型がただの借り物であったりするからだ。”
と書いている。
ちょっと長く引用してしまったけど、最近漠然と感じていたことだったので、やっぱりそう思う人いるよね、と思った。

これは、戯曲の選評だけれど、最近の日本の小説を読むと、なんだかすごく内向きで、内側に内側に先鋭化した作品が多いなーと感じていた。あるいは”性的側面においてのみ描いた作品”も多い。特に女性の小説に最近多いような気がする。
こういう内面を微分していくような小説もあっていいと思うけど、多すぎるとへきえきしてしまう。じゃあ、外側って何よ?ってことになるんだけど、それは多分、共同体とか国家とか世界とかではなく、なんだろう?システムとかネットワークとかシミュレーションとかのようなものだと思う。剛体としての共同体ではなく、境界のはっきりしない時々刻々姿を変えるようなグループともくくれないような、雲のようなもの。クラウドネットワークっていうか、そういう感じなんだろうか。そういった不定形な形の定まらない何かに侵食されているような薄気味悪さのようなもの。そういう外側を積分していくような小説。そういうのが読みたいような、そうじゃないような。

えーと、最初の村上春樹の話に戻って、壁の内側にいる人は、そのまま内側に居続けるか、壁を越えて外側に旅立ってしまう。壁の外側に来た人は、膨大な得たいの知れないネットワークに絡み取られて、あるいはネットワークの一部に取り込まれて、壁の向こう側に戻れなくなってしまう。そうして、内側の人は外側のことを知らないまま、ときたま外側から帰ってきた人の話を目を輝かせて聞き入り、そしてまた壁を越えていく人が出てくる。はずなのに、だんだん外側から帰ってくる人がいなくなり、内側のネットワークは剛体となり、システムは官僚化され、人々はそもそも外側に行けるということさえ忘れてしまう。。。って、何か昔読んだクラークの小説みたくなってきた、なんだっけ、『都市と星』だったかな。えーとamazonで調べると、絶版ですか。。。そう。

というような、ただのメモでした。

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2009年7月10日 (金)

藤子・F・不二雄「異色短編集」

ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉) Book ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)

著者:藤子・F・不二雄
販売元:小学館
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気楽に殺ろうよ (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉) Book 気楽に殺ろうよ (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)

著者:藤子・F・不二雄
販売元:小学館
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箱舟はいっぱい (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉) Book 箱舟はいっぱい (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)

著者:藤子・F・不二雄
販売元:小学館
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パラレル同窓会 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉) Book パラレル同窓会 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)

著者:藤子・F・不二雄
販売元:小学館
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ドラえもんの印象が強すぎて、子ども向けってイメージがあるけど、この異色短編集は、一般向けで、なかなかいいです。こういうのも書いてたんだなーと。1970年から80年前半くらいまでの作品で、この辺りはドラえもんなんかともかぶってると思うんだけどね。
で、まあ絵柄がドラえもんと一緒であるっていうのが、なんかブラックだな。

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2009年7月 4日 (土)

「忍耐」「シミュレーション」「森の翼」

「忍耐」
耐え忍ぶってことは苦痛であるはずだが、それを肯定的に捕らえなおす契機になったのが、「おしん」である。肯定的に捉えるというコンテクストを作り出したことによって、私たちの文化は耐え忍ぶってことに美を見出し、正義を見出す。そのような捉え方ができる文化を育んできたことが日本の根底にあるのではないかと思った。

「シミュレーション」
ミラーニューロンの本を読んでるうちに、これはシミュレーションしてるんだなと思った。実際に行うとコストがかかるので、仮想的にシミュレーションして効率を上げている。何のためかは分からないけど、そのような仕組みが生物の中にシステムとして組み込まれているとすると、生物が効率化を求めるのは、そもそも生物に本来的に備わっている性質によるものであるといえる。いえるのか?

「森の翼」
何かを間違って読んだ。ちょっといいなと思ったのでメモ。

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ソフトウェアを読む技術

小説の読み方って本は結構ある。どのように小説を読んだら良いかってなことが書いてある。最近特にいろいろ出ている。もちろん、小説の書き方って本もたくさん出ている。
ここで、当たり前だけど、小説を書く人より読む人のほうが、だんぜん多いんだけど、読み方と書き方で、どっちが多く出版されているかといったら、多分書き方のほうだと思う。たぶん。

で、翻って本題。ソフトウェアの書き方の本はいっぱい出ている。どのようにプログラムを作成するかっていう本。で、まあ、基本的にはプログラムをどのように書くのか知る必要があるし、基礎知識がないとプログラムを理解することもできない。でも、仕事の中でプログラムを書く場合、新規に作成するよりも既存のプログラムを修正することのほうが、格段に多いと思う。日本は特に、受託開発のうち派生開発がほとんどではないかと、『「派生開発」を成功させるプロセス改善の技術と極意』で清水吉男さんもおっしゃっている。
で、そのときに最も必要になってくるのが、”他人のソースコードを読む技術”なんだけど、それについて書かれた本というのは、ほとんど見たことがない。しかし、仕事として一番必要なのは、ソフトウェアを書く技術よりも、ソフトウェアを読む技術ではないだろうか。

まあ、そうはいっても、本の読み方とソースコードの読み方ってのは非常に似ていて、本の読み方が多いに参考になるんだけど。でも、ソースコードって、オープンソースのようなものかサンプルのソースコードくらいしか世に出回ってなくて、難解なソースコードってまあ、世に大いに知らしめることもないんだけど。実務上は、そういう難解な(難しいことをしているんじゃなくて、何でこのような処理になるのかさっぱり理解できないってこと。単なる辻褄合わせだったりすることもある。)ソースコードに出会うことが多い。。。から、いかにソースコードを読むべきかって本もあってしかるべきだと思うんだけど。

で、まあ、そういう悪辣なソースコードを読みこなしてバグ修正とかできる能力と、小説を読み込んで批評することっていうのは本質において似ているんじゃないかと思うんだけど。だから、まあ、優れた批評家はデバッグも上手であるに違いないということが、いいたかったわけでもないんだけど。まあ、似ているなーと。

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2009年7月 2日 (木)

『PLUTO 8』浦沢 直樹

PLUTO 8 (ビッグコミックス) Book PLUTO 8 (ビッグコミックス)

著者:浦沢 直樹
販売元:小学館
発売日:2009/06/30
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完結。何も言うこと無し。とにかく読め!って感じ。しかしすげーな、これは。

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『バスジャック』三崎 亜記

バスジャック (集英社文庫) Book バスジャック (集英社文庫)

著者:三崎 亜記
販売元:集英社
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少し奇妙な話。なんとなく星新一を想起させる。おとなしめの乙一とか。少しテーマを分かりやすく語りすぎるきらいがあるような気がする。もう少し語らなくてもいいんじゃないだろうか。語ってしまうことで、なんとなくステレオタイプな、どこかで見た感じがしてしまうのは、良くもあり(安心感がある)、悪くもありである。佐藤亜紀と名前がまぎらわしい。タイトルだけだと、どっちの作品かわかんないときがある。まあ、佐藤亜紀はまったく読んでないけど。

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2009年7月 1日 (水)

『レインツリーの国』有川 浩

Book レインツリーの国 (新潮文庫 あ 62-1)

著者:有川 浩
販売元:新潮社
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うまい。なんか久しぶりに前のめりになって読みました。恋愛ものって、基本的にはあんまり好きじゃないんだけど、これは面白かった。突発性難聴の人も、伝音性難聴の人も、聾の人も結構身近に居たり接したりしたことがあるので、少し身近な感じもあったしね。今井絵里子の子どもは、感音性難聴で、この主人公と同じタイプだったと思うけど。感音性難聴ってのは、手術とかのしようがなかったはず。こういう話って、身近にそういう人がいないとなかなか知ることがないしね。テレビとかだとこういう話が難しいってことがあとがきとか解説に書いてあったんだけど、安っぽいドラマとかになるくらいなら、テレビでやってほしくはないと思う。でも、この物語の内容くらい放送できないテレビってなんなんだろう?こういうことを伝えることが必要なんだと思うんだけど。ドキュメンタリーならいいんだろうな。事実だから。まあ、テレビの話はいいや。

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